九州北部豪雨を通して②

『今回の九州北部豪雨が船橋を襲ったら?』

かつて暴れ川だった海老川の河川改修も進み毎年6月には海老川親水市民祭りも盛大に行われています。
今回の九州北部豪雨の被害は、集中豪雨と集中豪雨で発生した大規模な山間部の森林崩壊による流木と土砂が被害の拡大を招いたようです。

したがってこれが船橋にそのまま当てはまる訳では有りません。でも長く続く線状降雨帯による集中豪雨が船橋を襲ったらどうなるのでしょうか。先ず、台地周辺部分の土砂崩れによる被害の発生の危険と、排水能力を超えた場合の低地部分の浸水被害の発生が心配です。また台地上の水が排水しにくい場所の浸水被害も加わり、これらの浸水被害による交通網の遮断が市民の生活に大きなダメージを与える事が心配です。

大量の雨水を受け止める地下貯水管、各地域の貯水池等、現在船橋市の治水対策が進められていますが、やはり雨水を受け止めるのは河川です。残念ながら海老川上流域の河川整備は遅れています。この上流域にはよく生き物観察に行くのですが、ドブ川時代のコンクリートの垂直護岸のままのところが多いです。

これでは到底集中豪雨の雨水を受け止められません。先ず流量が大きく増えても受け止められる様、護岸を広げ斜面を緩やかなものに改修することが必要です。そして河川域の低地には水田や湿地公園など、低地を生かした整備を計画的に行うなど、河川だけでなく河川を中心とした低地部分の総合的な整備が必要です。

川が最も低地を流れています。そしてこの低地には水田が隣接しています。現在は後継者不足等から耕作放棄地となっている事が多いですが、この水田こそ、環境保全の基盤であり防災の基盤となるものです。そして、水田は巨大なダムであり、緩やかに地下に雨水を戻す機関でもあるのです。つまり雨水をスムーズに流す河川と、集中豪雨の雨水を受け止める巨大な水田と言うダムを組み合わせて整備する事が必要なのです。

これに川の高低差順に道路等と併用したミニ堤防を設け、豪雨災害時の流量調整も行い被害の拡大を防ぐ方法が有ります。
つまりこれからは河川整備はもとより、隣接する低地を総合的に整備する防災対策を進めていくことが必要です。

ある意味防災は保険です。市民には日常の生活があります。保険としての防災対策を十分に機能させながら、日常の市民生活をより豊かなものにするという視点もこれからは求められます。

次回はこの防災の視点に農業経営と教育・観光といった視点を加えて考えて見たいと思います。

九州北部豪雨を通して①

福岡県朝倉市と大分県日田市の皆様に心からお見舞い申し上げます。
九州北部豪雨の発生から一週間が過ぎました。濁流にのみ込まれ、今も行方が分からない方が21人もいます。

大切な人の帰りを祈りながら待つ人、その大切な人を捜す人々。そして泥と流木に覆われ、出口が見えない再建作業を進める人々。本当被害の大きさにに胸が苦しくなります。少しでもしの苦しみが軽減される様心から祈るばかりです。そして命を奪われた皆様のご冥福を心から祈るばかりです。

日田市と朝倉市の7月6日にかけての24時間の降水量は観測史上最高を記録しました。豪雨の原因は積乱雲が集まり帯状に伸びた線状降水帯によるものです。これは2014年の広島、15年の関東・東北豪雨でも発生しました。長時間続く集中豪雨、これが船橋で起こったらどうなるのでしょうか?

先ずは朝倉市と日田市の皆様に心からお見舞い申し上げます。
次回、これを船橋市の問題として考えてみたいと思います。

ハゼの子供たちがいっぱい


海老川親水祭りの準備のために、花いかだを海老川に浮かべるという段になって急遽自分の中でばんが回って来ました。
胸までの胴長靴を履き海老川に入りました。

びっくりです。
小さくてかわいいハゼの子供たちが石の表面に群がっていました。
ハゼの仲間はお腹に吸盤が有るので流れがあっても石の表面にくっついていられるのです。

川の中に入って初めて見えた風景でした。
これからはもっともっと近ずいてこの子達を見てあげたいと思います。

きっと他にもかわいい子たちがいるはずです。

海老川を独り占め


明日の親水祭りの準備に海老川に来ています。
みんなより早く来たので、海老川独り占めです。爽やかな初夏風が水面を渡って行きます。

柳の根元の座り込み、刈り取られた草の香りを胸いっぱいに吸い込みながら海老川独り占めです。
皆さんが到着しました。
さぁ作業開始です!

小室と船橋はわずか13km


先日小室駅で駅頭活動をしていた時、船橋駅行きのバスの運転手さんと話しをしました。

「船橋までどの位かかります?」
「1 時間以上かかっちゃうなー」
「どの辺が混みますかねー」
「三咲三叉路」
「三咲駅踏切と前後の信号」
「金杉三叉路」
「船取線と交差の金杉十字路」
後は「夏見の坂を下る辺り」

予想通りの実態でした。距離はわずか13kmです。時速30kmでも約25分で着く距離です。

北総線小室駅から東京まで30分で以内で行けます。船橋からも大手町23分です。
渋滞を減らしスムーズな運行が実現できれば、三咲駅を起点にどちらからも45分以内に東京に出られます。
これにミニバスを連携させれば利便性は格段に向上します。

ほぼ定時運行ができれば鉄道と同じ役割を担えます。
これにバスの現在地がわかるバス停表示システムを導入すれば安心度が更に上がります。
バスは幕張本郷から幕張メッセに運行がしている連結バスを使いましょう。アンデルセン公園を生かして思いっきりヨーロッパ風のカラーリングやお洒落な車内デザインにしましょう。

これで小室から成田空港も30分以内で行けます。船橋発成田空港直行便も充分実現可能です。

夢がどんどん広がります。本当に我が街船橋の可能性は高いです。エッヘン
「お前が自慢してどうする‼︎ 」笑

出会いの喜びに感謝です


仲間が集まる会があるので、紹介したいと言ってくれる支援者の方から連絡が入りお邪魔する機会が増えました。
先日は東京の本郷までお邪魔しました。8時半までの駅頭活動の後始末を終え、総武線に飛び乗り待ち合わせの場所に向かいました。
皆さん起業家の方で、経営の修羅場をくぐってきた方々です。自分も県行政と学校現場で進退をかけて仕事をしてきた自負もあります。

直ぐに意気投合し、幸せな気持ちが心を満たしました。
何か昔から知っていた仲の様な思いがして不思議でした。

こちらが仕組んだ訳では無いのに、会いたいと思っている人に会える事が最近良く有ります。

今日も呼ばれて盆栽の展示会に行きましたら、35年振りに会いたかった恩師にお会いする事が出来ました。
『先生随分お優しくなられて一目ではわかりませんでした』
先生も最初は自分をうまく認識できませんでしたが、お互い少しのタイムラグですっかり昔に戻り、互いに握った手をいつまでも離せない再会となりました。

出会いの不思議さ、偶然の不可思議さ、人生の面白さを痛感し感謝する今日この頃です。
そんな事もあって、神社やお寺の近くを通ると、感謝の気持ちを込めて頭を下げる様になりました。

チョット爺ちゃんくさいかな 笑

船橋御殿地から見えて来る事


本町通りから北側に一本奥に入ると、御殿通りがあります。
御殿地とは江戸時代に入り鷹狩りが好きだった将軍の為に船橋大神宮の神主であった冨氏が将軍に土地と自分の居宅を差し上げたものです。
その居宅は船橋御殿とも言います。今風に言えば将軍の別荘です。
将軍はここを中継地にして東金方面に鷹狩りに行ったり、ここを拠点に船橋の海老川の辺りで鷹狩りがを楽しみました。

将軍が趣味の為に使ったというだけでなく、経済的拠点としての船橋の存在をうかがい知る事ができます。

やがて幕末の戊辰戦争で、船橋の街は焦土となり、船橋御殿も焼け落ちましたが、この場所から大型の常滑焼の甕が三つ掘り起こされ、その中から室町時代に我が国で流通やしていた通貨『永楽通宝』が見つかりました。その量は約1トンです。また同じように峰台地域でも約1500枚発見されています。

この御殿地のあった場所は夏見台地の前に広がっていた入江の入り口部分に有り、港湾都市船橋の重要拠点で防衛も兼ね備えた海城の様な存在でもあったはずです。この経済活動には港湾都市鎌倉と同じように寺社が深く関わっていました。

戦争の混乱の中でこの記録も通貨も分からなくなってしまいましたが、この事を記した石碑の拓本が残っています。
本物でなくていいので、同じ量の永楽通宝と常滑焼の壺を展示の中心とした御殿地ミュージアムを作り、栄華を極めた船橋の歴史に思いを馳せられたら楽しいですね。

船橋には豊かな歴史があります!


船橋地域の名前が日本の歴史の中に登場するのは、平安時代の900年代に編纂された現在の国勢調査にあたる『延喜式』に出て来る船橋大神宮と、伊勢神宮が所有する領地を書き上げた『伊勢大神宮神領注文』という文書の中の1136年に登場する『夏見御厨』です。それから60年くらい後の鎌倉時代に幕府の文書に出て来る『船橋御厨』です。
ここには夏見御厨と船橋御厨は同じと書いてあります。
『御厨』とは、有力な寺社に自分の領地を寄進して大きな力を持った荘園の事です。

この私達の住む地域には、夏見地域を中心として大きな力を持った豪族がいて、更にその力を強める為に日本の神社の中心である伊勢神宮に領地を寄進したということです。
そして伊勢神宮の神様を台地上にお祭りしました。これが今の日枝神社です。

この時代は夏見台地の下には大きな入江が広がっていて、諸国の物資が集まる物流都市の様な存在であったと考えられます。
これが都市としての船橋の始まりです。文書の史料は少ないですが、港湾都市としての様子が分かる史料も見つかっています。

そして私達の足元には港湾都市であった頃の石組みなどの遺構が眠っていると思います。
是非、本格的な学術調査を実施しましょう。歴史を知る事は未来を知る事です。

まだまだ話は尽きませんが次にします。

船橋には魅力がいっぱい

『船橋には豊かな自然も残っています。そして、これを守っている人がたくさんいます』

この場所は、以前自分が校長を務めていた学校のそばに流れている川とその周辺です。
学校に着任した当時、不法投棄の電化製品やゴミが散乱していて、子供たちとクリーン大作戦をしました。
冷蔵庫やゴミがトラック三台分くらいありました。
でもそこには湧き水が流れをつくっていたり森の中の湿地もありました。

その場所が今どうなっているのかずっと気になっていたので、朝早く起きて見にいってきました。

するとゴミも無く、水が浸み出している湿地もきれいに人の手が入り、流れもつくられていました。
きっとこの自然を大事にしようと思い活動している方が何人もいるのです。ここに生き物たちが帰ってくるのも時間の問題だと思います。

嬉しくて写真を何枚も撮ってしまいました。

懐かしい風景が残る鈴身町


普通の家ぐらいある屋敷門。田植えの終わった田んぼから聞こえてくるカエルの声。田の中央部に流れる鈴身川。

『ここに水を汲みあげる水車があった昔のままの風景ですね』
『郷土資料館に寄付しちゃったなー』
『是非、また作りましょうよ』

そんな話をして盛り上がりました。
鈴身町は船橋の宝物です。船橋の原風景、いや日本の原風景が残る貴重な地域です。すぐにでも時代劇の撮影も出来そうです。

そしてもう一つ隣接する金堀町は我が国の江戸から明治にかけて活躍した画家『鈴木鵞湖』の生誕の地で、そのご子孫が住んでいるのが鈴身町なのです。
『鈴木鵞湖』の息子が『石井鼎湖』その息子が『石井柏亭『石井鶴三』です。

この三代に渡る我が国における美術界の巨匠を生んだ地域がこの地域なのです。
この風景が巨匠の美を育んだと思うともっともっと大切にして皆んなに知ってもらいたいと思います。