出会いの喜びに感謝です


仲間が集まる会があるので、紹介したいと言ってくれる支援者の方から連絡が入りお邪魔する機会が増えました。
先日は東京の本郷までお邪魔しました。8時半までの駅頭活動の後始末を終え、総武線に飛び乗り待ち合わせの場所に向かいました。
皆さん起業家の方で、経営の修羅場をくぐってきた方々です。自分も県行政と学校現場で進退をかけて仕事をしてきた自負もあります。

直ぐに意気投合し、幸せな気持ちが心を満たしました。
何か昔から知っていた仲の様な思いがして不思議でした。

こちらが仕組んだ訳では無いのに、会いたいと思っている人に会える事が最近良く有ります。

今日も呼ばれて盆栽の展示会に行きましたら、35年振りに会いたかった恩師にお会いする事が出来ました。
『先生随分お優しくなられて一目ではわかりませんでした』
先生も最初は自分をうまく認識できませんでしたが、お互い少しのタイムラグですっかり昔に戻り、互いに握った手をいつまでも離せない再会となりました。

出会いの不思議さ、偶然の不可思議さ、人生の面白さを痛感し感謝する今日この頃です。
そんな事もあって、神社やお寺の近くを通ると、感謝の気持ちを込めて頭を下げる様になりました。

チョット爺ちゃんくさいかな 笑

船橋御殿地から見えて来る事


本町通りから北側に一本奥に入ると、御殿通りがあります。
御殿地とは江戸時代に入り鷹狩りが好きだった将軍の為に船橋大神宮の神主であった冨氏が将軍に土地と自分の居宅を差し上げたものです。
その居宅は船橋御殿とも言います。今風に言えば将軍の別荘です。
将軍はここを中継地にして東金方面に鷹狩りに行ったり、ここを拠点に船橋の海老川の辺りで鷹狩りがを楽しみました。

将軍が趣味の為に使ったというだけでなく、経済的拠点としての船橋の存在をうかがい知る事ができます。

やがて幕末の戊辰戦争で、船橋の街は焦土となり、船橋御殿も焼け落ちましたが、この場所から大型の常滑焼の甕が三つ掘り起こされ、その中から室町時代に我が国で流通やしていた通貨『永楽通宝』が見つかりました。その量は約1トンです。また同じように峰台地域でも約1500枚発見されています。

この御殿地のあった場所は夏見台地の前に広がっていた入江の入り口部分に有り、港湾都市船橋の重要拠点で防衛も兼ね備えた海城の様な存在でもあったはずです。この経済活動には港湾都市鎌倉と同じように寺社が深く関わっていました。

戦争の混乱の中でこの記録も通貨も分からなくなってしまいましたが、この事を記した石碑の拓本が残っています。
本物でなくていいので、同じ量の永楽通宝と常滑焼の壺を展示の中心とした御殿地ミュージアムを作り、栄華を極めた船橋の歴史に思いを馳せられたら楽しいですね。

船橋には豊かな歴史があります!


船橋地域の名前が日本の歴史の中に登場するのは、平安時代の900年代に編纂された現在の国勢調査にあたる『延喜式』に出て来る船橋大神宮と、伊勢神宮が所有する領地を書き上げた『伊勢大神宮神領注文』という文書の中の1136年に登場する『夏見御厨』です。それから60年くらい後の鎌倉時代に幕府の文書に出て来る『船橋御厨』です。
ここには夏見御厨と船橋御厨は同じと書いてあります。
『御厨』とは、有力な寺社に自分の領地を寄進して大きな力を持った荘園の事です。

この私達の住む地域には、夏見地域を中心として大きな力を持った豪族がいて、更にその力を強める為に日本の神社の中心である伊勢神宮に領地を寄進したということです。
そして伊勢神宮の神様を台地上にお祭りしました。これが今の日枝神社です。

この時代は夏見台地の下には大きな入江が広がっていて、諸国の物資が集まる物流都市の様な存在であったと考えられます。
これが都市としての船橋の始まりです。文書の史料は少ないですが、港湾都市としての様子が分かる史料も見つかっています。

そして私達の足元には港湾都市であった頃の石組みなどの遺構が眠っていると思います。
是非、本格的な学術調査を実施しましょう。歴史を知る事は未来を知る事です。

まだまだ話は尽きませんが次にします。

船橋には魅力がいっぱい

『船橋には豊かな自然も残っています。そして、これを守っている人がたくさんいます』

この場所は、以前自分が校長を務めていた学校のそばに流れている川とその周辺です。
学校に着任した当時、不法投棄の電化製品やゴミが散乱していて、子供たちとクリーン大作戦をしました。
冷蔵庫やゴミがトラック三台分くらいありました。
でもそこには湧き水が流れをつくっていたり森の中の湿地もありました。

その場所が今どうなっているのかずっと気になっていたので、朝早く起きて見にいってきました。

するとゴミも無く、水が浸み出している湿地もきれいに人の手が入り、流れもつくられていました。
きっとこの自然を大事にしようと思い活動している方が何人もいるのです。ここに生き物たちが帰ってくるのも時間の問題だと思います。

嬉しくて写真を何枚も撮ってしまいました。

懐かしい風景が残る鈴身町


普通の家ぐらいある屋敷門。田植えの終わった田んぼから聞こえてくるカエルの声。田の中央部に流れる鈴身川。

『ここに水を汲みあげる水車があった昔のままの風景ですね』
『郷土資料館に寄付しちゃったなー』
『是非、また作りましょうよ』

そんな話をして盛り上がりました。
鈴身町は船橋の宝物です。船橋の原風景、いや日本の原風景が残る貴重な地域です。すぐにでも時代劇の撮影も出来そうです。

そしてもう一つ隣接する金堀町は我が国の江戸から明治にかけて活躍した画家『鈴木鵞湖』の生誕の地で、そのご子孫が住んでいるのが鈴身町なのです。
『鈴木鵞湖』の息子が『石井鼎湖』その息子が『石井柏亭『石井鶴三』です。

この三代に渡る我が国における美術界の巨匠を生んだ地域がこの地域なのです。
この風景が巨匠の美を育んだと思うともっともっと大切にして皆んなに知ってもらいたいと思います。

金曜の朝は小室駅に行って見ました

早朝の小室駅前は本当に綺麗な空気が溢れていました。こんな所に住めたら本当に幸せだなと心から思いました。
森がいっぱいで、川が流れる低地に霧がかかりそのコントラストはおとぎの世界でした。

小室からの成田空港まで約40分。東京へも30分です。
この最高な立地条件ですが北総線の運賃が高い事や、船橋迄のアクセスの悪さが大きな課題となり、その魅力が生かされていません。
運賃の高さが就職活動の障害になっているという話も聞きました。
通勤手当の額が採用の障害になっているという話しは、決して冗談では無いと思います。このリスクは子供を持つ親としてはとても厳しいです。

そして、わずか13kmしかない船橋駅まで1時間以上かかってしまう道路事情。
新京成バスの運転手さんとも話しましたが、渋滞箇所も決まっており、時速30kmで走っても30分以内に着ける距離が1時間以上では、この沿線で家を持とうとは思いません。でも逆にこの二点が改善出来れば全く世界が変わります。だから一刻も早く改善する必要があると考えています。

人の数は少なかったのですが、パンフを受け取ってくれた方は約150人もいました。
この数は船橋・津田沼と変わりません。課題の認識の大きさを強く感じた小室駅の活動でした。

選挙管理委員会の説明会に行って来ました

先日、選挙管理委員会の説明会に行って来ました。

たくさんの資料を頂き説明をお聞きしました。
『ルールを守リ活動をする大切さ』そして最後に『何か困ったり分からない事があったらいつでもご相談ください』と言うお言葉に、市政を支える選挙管理活動への真摯な姿勢を強く感じました。

私も14年間の千葉県教育庁勤務の経験から議会という存在がいかに重要であるかを良く知っています。
議会での質問はもとより、各担当課との勉強会、議会担当職員との調整。その一つ一つが県や市の施策を支え、或いは見直す大きな力になっている事を知っています。

この極めて大きな力を持つ者を選ぶ活動の尊さをあらためて感じました。そして身の引き締まる思いがしました。

みんな思いがあってこの場に来ています。
自分にも『船橋磨き上げ』の思いがあります。選ぶのは市民の皆さんです。

より多くの皆さんに思いと施策を伝えるために私も力のかぎりを尽くしたいと思います。

音響の良い音楽ホールをつくりたい

早朝の淡い光の中、駅頭活動に向かう車の中で流れてきたヨハン-パッヘルベルのカノン。
何故か急に胸が熱くなり涙がこみ上げて来ました。

自分にはこんな事が良く有ります。子供たちの演奏にも良く泣かされました。

『音には色が有り景色がある』
『音は言葉と同じ』
『それを再現しようとする時間が本当の楽しい音楽の時間』

そんな話を子供たちにして来ました。
技量と感性とを総動員して音に景色という命をふきこむ作業が音楽という活動です。

船橋の子供たちの音楽レベルは全国トップレベル。技量と感性とが全国トップレベルという事です。
是非これを子供たちと多くの市民の皆さんと聴き合える場所が欲しいですね。

いい音楽を聴き会えてこそ高め合う事が出来るからです。
これが『音楽の街船橋』の更なる発展に不可欠と考えています。

是非、音響の最高な音楽ホールを作りたい。船橋街づくり倶楽部の願いです。

「おはようございます」「行ってらっしゃい」

 この季節は四時には空が白じんで来て、四時半を過ぎると太陽が顔を出します。津田沼駅は頭上に青空が広がっているので、朝の爽やかな空気を独り占めです。五時ともなると人々の活動が始まります。自転車の管理を支えている方、通路のゴミ箱を処理する方、そんな方にも笑顔で挨拶を交わし、周りにゴミが落ちていたら拾ってノボリを立てて駅頭活動開始です。

 駅頭活動を開始して六日が過ぎました。五時半から八時半迄の三時間の間に感じた事があります。たくさんの方が目の前を過ぎていきますが、このお一人お一人に生活が有り、お仕事が有り、それが船橋と社会を支えているのだと深く感じることです。そして仕事を終え、それぞれの生活への無事のお帰りを願い、気持ちを込めて「行ってらっしゃい」と声をかけたいと思うようになったことです。

自分にこれからどのくらいの仕事ができるか、まだ分かりませんが、少しでも幸せそうなお顔が増えるような働きができたらと思います。お急ぎ足の方、比較的ゆとりのある方、お若い方、お年を召した方、可愛い子供たちもいます。できるだけ、お一人お一人のお顔を見ながら挨拶を交わすように心掛けています。会釈を返してくれる方も沢山いらっしゃいます。パンフレットを受け取って頂けると思わず大きな声で「ありがとうございます」と言ってしまいます。

『これからの20年が勝負です』『ふなばしみがきあげ』のノボリを見て頂ける方もいらっしゃいます。『佐藤が何をしたいのか、船橋をどうしたいのか?』出来るだけ多くの方に知って貰えたら嬉しいです。爽やかな風と、少し眩しい太陽の応援を受けて「おはようございます」そして「行ってらっしゃい」

人生初の駅頭活動です


街づくりを進める事は簡単ではありません。いくらいいアイデアや構想が有っても、それを市の課題として受け止めて頂き、予算化し実現する事は容易なことではありません。

私たちは、良く考え必要と判断した事を実現させる力を『考動力』と考えています。そして大切な事は、現実をしっかり捉え課題を明らかにし、改善のための具体的プランを持つ事と、それを実現させるための発言権を持つ事と考えています。
従って発言権を持つためには、より多くの市民の皆さんの賛同と応援が必要と考えています。

つまり船橋をより魅力的な街にするという目標を達成させるための手段として、市議会議員の補欠選挙に挑戦しています。政党に属さずこれに挑戦するなど無謀極まりないと言われます。でも私たちは個人で戦っているわけではありません。
市民団体である『船橋街づくり倶楽部』として挑戦しており、その代表が佐藤眞弘という事です。

市政に国政の代理戦争を持ち込んで欲しくありません。
もちろん国政はとても重要で、数の理論もやむを得ません。ただ市政で優先すべきは、先ず市民の暮らしに関する課題の改善と、市民の皆さんの多くがこの街をよく理解し、ここに住んで良かったと思える街づくりを進める事です。地方議会は『ドブ板政治』と言われますが、これら生活上の喫緊の課題解決を最優先した上で、この街への理解を深め、みんなで街を磨き上げようとする思いをまとめる事が、創立100周年に向けたあと20年の最大の仕事と考えています。

そのための第一歩が、駅頭活動でした。人生初の駅頭活動です。ノボリを立てパンフレットを手に「おはようございます」「パンレットよかったらどうぞ」「行ってらっしゃい」と声を掛けました。立場が違えば、避けて通りたいと思います。でも軽く会釈を返してくれたり、ちゃんと受け取ってくれたり、パンレットをみて話しかけてくれる方も7人いらっしゃいました。
その中のひとりの方は自分の住む集合住宅にポスティングするので30部頂きたいと言ってくれ、夕方ポスティングが終わリましたという連絡も頂きました。本当に感謝の思いで一杯です。初めの一歩でしたが、本当に大きな一歩でした。この感謝の思いを決して忘れず、街づくりの歩みを大きくしていきたいと思います。